

【ママ美容:前編】後藤晴菜(フリーアナウンサー)インタビュー<Switching Story ~“母”の顔と“私”の顔~>

目次
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01アナウンサーになろうと思ったきっかけを教えてください。
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02日本テレビ入社後は、どんなアナウンサーを目指していましたか?
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03アナウンサーという仕事をしている中で難しいと感じることはありましたか?
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04ヨガインストラクターの資格を取得した時の感想を教えてください。
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05結婚・妊娠中の生活や仕事に対する変化はありましたか?
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06育休中にご主人が海外移籍。海外での子育てに不安はありませんでしたか?
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07子育てと仕事を両立される中で、悩んだり、難しいと感じたりしたことはどんなことでしたか?
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08それを解決するためにしたことや、変化はありましたか?
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09子育てで心がけていることはどんなことですか?
01
アナウンサーになろうと思ったきっかけを教えてください。
小さい頃から声の大きさや通りの良さをほめてもらうことが多かったんです。
もちろん声が大きすぎてうるさいと怒られてしまうこともありましたが、お腹から声が出るタイプだったので、その声を生かせないかと思い、アナウンサーという仕事に興味を持つようになりました。
高校まで陸上をやっていたので、スポーツに身を置き“伝えてもらう立場”にありました。その後スポーツを“伝える立場”に魅力を感じるようになって、大学に入ってアナウンサーになりたいという想いが強くなったんです。
どうしたらアナウンサーになれるかと調べていたら専門のスクールがあることを知って、目指すなら道筋通りに行こうと思い、大学2年ぐらいからアナウンススクールに通いはじめました。
授業では職業体験ができる機会とか、報道やスポーツなどさまざまなジャンルで活躍されているアナウンサーの方や、声の仕事ということでアニメ声優の方のお話を聞く機会があって、よりアナウンサーという仕事に興味が増しました。

02
日本テレビに入社後は、どんなアナウンサーを目指していましたか?
アナウンサーになりたいと思ったきっかけはスポーツだったので、スポーツキャスターを目指すことを念頭に置いて、オリンピックや箱根駅伝の中継などスポーツ関連の仕事をたくさんしていきたいなと思っていました。
入社時に希望を言える機会はありましたが、そこに自分が必要とされているかどうかは分かりませんでした。そこでスポーツ関連の仕事があれば全国のどこへでも、たとえスケジュールがタイトでも取材に行くことにしたんです。とにかくさまざまなスポーツの現場に触れたくて、番組の予算と時間が許す限り、本当にいろいろなところに取材に出向き経験を積んだという自負はあります。
オリンピックのキャスターをやるなら競技を全部知っている必要があります。でも知らない競技もたくさんあります。だから一つでも知らない競技を減らすためにと、がむしゃらに取材に行ったことは、今振り返ってもよく頑張ったなと思えます。
当時はいつもバッグにスポーツ新聞を入れていて、時間があれば読み込んでいました。ネットからの情報だけではなく、紙面だったり現地に行って競技を観戦したりして、いろいろなアンテナを広げて情報を得て、取材をしていたと思います。

03
アナウンサーという仕事をしている中で難しいと感じることはありましたか?
知らないことに触れ、お伝えしなくてはいけない時です。
テレビ視聴者の中には、そのことを知らない方もいれば、とても詳しい方もいます。そのなかでどんな方にも分かるように伝える言葉選びの難しさはあります。
でも長年続けてきた中で、自分の言葉として伝えるためにどれぐらいの知識や情報が必要なのか、感覚としてつかめてきたように感じます。
中には自分の情報の蓄えとして留まり、放送には乗らないものもたくさんあるのですが、知識や情報を広く集めることは、すごく大事なことだと思っています。

04
在籍中にヨガインストラクターの資格を番組の企画で取得されたそうですが、大変だったことや良かったと思われたことがあったら教えてください。
ヨガは趣味のひとつでしたが、コロナ禍で番組としてできないことが増えていく中、担当していた情報番組の企画で資格取得を提案されたのがきっかけでした。
番組では、3カ月でスポーツジム「ティップネス」でヨガインストラクターとして指導できる資格を取りました。でもその資格だと「ティップネス」でしか指導できないので、本格的なヨガインストラクターを目指すために「RYT200」を続けて取得したんです。
「RYT200」は200時間の講座と試験があるので大変でしたが、私としては「ティップネス」のインストラクター資格取得のほうが、ゼロから学ばなければならないことが多くて難しかったです。
「RYT200」取得の時は、ある程度の基礎が頭にも体にも入っていたので、半分はおさらいという感覚で進められました。

05
プロサッカー選手とのご結婚後、結婚・妊娠中の生活や仕事に対する変化はありましたか?
結婚当初は、夫は茨城県鹿嶋市、私は東京の二拠点生活だったので、生活に大きな変化はありませんでした。
夫は、「僕に合わせて仕事のやり方を変えたり、我慢したりする必要はない」というスタンスの人だったので、私もやりたい仕事に集中して取り組むことができました。妊娠中も自由に動けるうちはやりたい仕事をしていたので、とくに変化はなかったですね。
ただ、結婚の少し前にあった東京2020オリンピックの仕事は、スポーツキャスターとして私のひと区切りになると考えていたので、キャリアの中でも大きなターニングポイントだったと思います。

06
育休中にご主人の海外移籍によって生活が変化したと思います。海外での子育てに不安はありませんでしたか?
子どもが生まれて1カ月ぐらいの時に夫の海外移籍が決まりました。
私が日本に残る選択もあったんですが、子どもの予防接種や医療のケアがきちんと受けられる環境であるなら行こうと決めていました。
自分で調べたり、小児科の先生や夫のチームの方に相談したりした上で問題がないとわかったので、子どもが生後3カ月半ぐらいの頃に移住しました。
最初に行った国はポルトガルで公用語はポルトガル語でしたが、ヨーロッパの方は英語を喋れる方が多いので、コミュニケーションの難しさはそんなにありませんでした。
その後、子どもが8カ月の頃にベルギーに移ることになって保育園探しをはじめたんですが、これが本当に大変でした。日本でも大変だと思うんですが、ベルギーでは妊娠がわかったタイミングから保育園のウエイティング登録をするそうです。
ウエイティングリストはポイント制で順番が決まり、家庭環境や勤労状況に応じて変わるそうです。私の場合は私自身にベルギーでの勤務実績がなく、すでに子どもも1歳半を過ぎているので、相当待つことになると言われていたんです。
でも半年ぐらい待っていたら、入園許可のメールが突然届いて、子どもの保育園生活がスタートしました。

07
日本に帰国後、子育てと仕事を両立されてきた中で、悩まれたり、難しいと感じられたりしたことはどんなことでしたか?
海外にいて止まっていた自分のキャリアを今後どうするのか、ということはずっと悩んでいました。育休の期限も迫る中でまずは夫が次にどのチームに所属するのか。国外なのか国内なのか、日本ならどこのチームなのか、そういった不確定要素が明確になってから自分の今後を決めるつもりでした。
その後、夫はまた鹿島アントラーズに戻ることが決まり、私が復職をするならまた二拠点生活に戻る必要がありました。娘も物心がつき始め、お喋りも楽しくなってきた頃だったのでパパとなかなか会えなくなってしまう生活はどうだろうと相当悩みました。
最後の決め手になったのは自分の中で一番大事にしたいことは何なのかということ。そして家族揃って暮らすこと、一緒に食卓を囲むことが私が大切にしたいことなんだと改めて気づいたんです。
そうなると、これまでのように仕事を続けることはどうしても難しく退社という選択をとりました。
08
それを解決するために心がけたことや、変化したことはありましたか?
本音を言えば、辞めなくてもいい状況であれば辞めたくはありませんでした。でも家族が揃って暮らせないほうを譲れなかったので、最後は順番をつけるしかなかったのです。
夫とは話し合いを重ねていましたが、「やりたいようにやればいいし、二拠点生活で続けられるならそれでもいい。本当に自分が何をしたいかだよね」と、私が決断するのを待ってくれていました。
会社との話し合いでも、話せば話すほど辞めたくなくなってしまって。本当に仕事も職場も同僚も大好きだったので、逆に何か嫌なことがあったほうが辞めやすいと思ったほどです。
でも今はこの選択をした後悔はありません。
一緒に暮らしていても、夫は仕事柄、家を空ける日も多いんです。だからこそ一緒に過ごす時間が家族にとって大事になっていると感じます。

09
子育てで心がけていることはどんなことですか?
仕事をしていた時は、とても細かくスケジューリングして計画を立てるタイプだったので、子育てでもつい計画を立てたくなってしまうんです。
何時までに何かをやっておきたい、みたいに一日の流れを計画しようとするんですが、そんなのは無理じゃないですか。
だから全部取っ払うというか、なるようになる無計画ぐらいでいいのかなと思うようにしています。
今では子どもは私のいい相談相手で、この間も落ち込んだことがあった時に「どうしたら元気になれるかな?」と聞いたら、「バナナジュース飲んで、ねんねすれば大丈夫」と言ってくれて。
子どもを見ていると純粋無垢で、私も素直に生きていていいんだと教えてもらっているようです。

後編では産後の体調や服選びの変化について伺いました。
<後藤晴菜さんプロフィール>
日本テレビにアナウンサーとして入社。「Oha!4 NEWS LIVE」や「Going! Sports&News」などでキャスターを務め、「スッキリ」「バゲット」「情報ライブ ミヤネ屋」などに出演。2021年5月には、「バゲット」内の企画で挑戦していたヨガインストラクターの資格を取得。プライベートでは、2021年12月にプロサッカー選手の三竿健斗さんと結婚。その後ご主人の移籍に伴い海外に移住し、帰国後に日本テレビを退職。現在はフリーのアナウンサーとして幅広く活躍。Instagramはフォロワー数12万人を超える。
Instagram:@haruna_goto
編集/㈱メディアム 成田 恵子、執筆/北村 文、撮影/Suat Koyl
大丸・松坂屋が運営するコスメの情報メディア&オンラインストア「DEPACO」。
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EDITOR

DEPACO編集部
エディター 高梨
旅行誌の出版社で編集職を10年以上経験。出産を機にキャリアを見つめ直し、今後は大好きな美容の情報発信をしたいという想いでDEPACO編集部へ。美容はスキンケアやベースメイクでの“土台作り”が好き。趣味は旅と料理。
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出産すると体調や体形もこれまでの自分とは全く違うものに。今までとは異なる美容の悩みを抱える女性も多いはず。また、女性としての生き方と母としての人生の両立を難しいと感じる人や、今後のキャリアについて悩んでいる人もいるのではないでしょうか。
そんな人たちの美や人生のヒントになるように、仕事と家庭、2つの顔を持ち、母になったことでさらに美しく輝いている女性にフォーカスし、連載します。
第12回はフリーアナウンサーとして活躍されていて、一児の母である後藤晴菜さんです。